目次
小学生 〜 高校時代
高校卒業までは実家で親と生活してました。
この頃は料理以前にいろいろと物理的に不可能でした。
料理環境に絞るとこういったことです。
- スーパーがない
- 小遣いがない
- 貧乏食生活
スーパーがない
実家は山里の限界過疎地にあります。
見ての通り、スーパーどころかありとあらゆる店がありません。
最寄りのスーパーまでは片道8kmもあり、しかも、そこまでの道のりは高低差がめちゃくちゃあるアップダウンの激しい山道なので、車が必要です。
当時、食材の買い出しは週一回父の車で行ってました。
今はコープ(生協)の宅配があるのですが、ただ、日本最悪レベルの老害限界過疎地なのでそれもそのうちなくなるでしょう。
※(日本最悪レベルの老害限界過疎地: 老害によって若者の人口が激減した過疎地。今では65歳以上の高齢者の割合が兵庫県でワースト1位)
小遣いがない
高校生になるまで小遣いはありませんでした。
当時はスーパーの代わりに農協がありましたが、何も買えませんでした。
ちなみに、お菓子は親が農協に買い物に行った時に買ってたのでありました。
が、「店で何か商品を買う。お小遣いをやりくりする」といった経験はほとんどなかったです。
覚えているのは、お年玉でファミコンのゲームを買ったぐらいです。
貧乏食生活
食生活は貧相でした。
母は専業主婦で仕事は家事のみでしたが、いろいろと向上心はなかったので食事は美味しくなかったです。
収入が貧乏というわけではなかったはずですが、食生活は一般的な家庭と比べてかなり低かったと思います。
なので、実家で得られた料理に関する経験・知識はほぼ皆無でした。
例えば、当時の土日(給食なしの日)の昼飯はこんな感じでした。
再現して原材料費を計算してみたところ、今(2024年7月)の物価で一食36円〜103円です。
- 味噌汁: 7.1円
- 玉ねぎ 中 薄切り・・・1/4個: 11円,(実家)0円
- 卵・・・1個: 18.3円
- ご飯・・・0.5合: 40円, (実家)0円
- ほうれん草・・・30g: 16円, (実家)0円
- 調味料: 1円
- 水道光熱費: 10円以下
合計: 103円, (実家)36円
- 塩コショウ・・・少々
- 醤油・・・少々
合計: 1円以下
実家は農家(祖父、祖母が農作業)で、食事は主に家で採れた野菜と米、かつ、貧相な食事でしたので、食費は一般的な家庭の食費の1/3以下だったでしょう。
ちなみに、当時はお好み焼き、天ぷら等嫌いな食べ物がたくさんありました。
なすのおひたしとかは涙流しながらお茶で流し込んで食べてました。
が、その後社会人になって外食するようになって分かったのですが、それら料理は嫌いだったのではなく、家の手料理が不味かっただけでした。その後母の介護で実家で食生活して改めてそう感じました。
大学時代
大学時代はアパートで一人暮らししてました。
一人暮らしを始めてすぐに自炊に必要な家電や調理器具を少しずつ揃えていきました。
が、入居から数ヶ月で自炊をやめました。
理由は、物理的に不可能だったからです。
上記記事にだいたい書いてますが、自炊環境に絞って理由をあげるとこんな感じです。
- キッチンがない
- ガスが使えない
- 電気が使えない(最大10A)
- 電気料金が高額
- 換気扇がない
- 騒音迷惑
- ゴキブリの棲家
- 部屋が暑すぎ、寒すぎ
- 引っ越しできない
キッチンがない
部屋にキッチンはありませんでした。
大学入学から卒業までずっと過ごした実際の部屋の写真です。
奥に見えるのはただの洗面台です。キッチンではないのでコンロはありませんでした。
また、共同キッチンもなかったです。
そもそもこのアパートは(ゲストハウスにあるような)共有スペースすらなかったです。
ガスが使えない
料理に必要なガスが使えませんでした。
電気が使えない(最大10A)
料理に必要な電気が使えませんでした。
最大10Aとは、ドライヤー一つでブレーカーを落とせるレベルです。
実際ガスコンロの代わりに電磁調理器を買ってきて自炊を始めたものの、同時に炊飯器でご飯を炊くことすら出来ませんでした。
上記リンク記事に書いたように、部屋の電気(照明)、冷蔵庫、コタツをつけた状態でトースターでパンを焼くのが夢でした。
電気料金が高額
電気料金がめちゃくちゃ高かったです。
普通の賃貸アパートの数倍の電気代でした。
事実夏はエアコンどころか扇風機すら使ってなくても、エアコンを使っている友達より高かったです。
家主から聞いた原因は以下でした。
- 電力会社との契約がアパート全体で、家主の管理人部屋含めた全ての部屋(20部屋?)の電力が全体の契約電力量となり、使用量の単価が高いから
で、電気代の支払いは家主に、家主から言われるがままの料金で支払ってたのですが、その後の長い一人暮らしの経験から、「それを口実に家主にぼったくられてたな」と思ってます。
換気扇がない
上述の写真を見れば分かりますが、部屋に換気扇はありませんでした。
窓はあったのですが、洗面台周りとは反対側で、かつ、風は入ってこない位置でした。
部屋に煙がこもるので、フライパンで何か炒めることすら出来ませんでした。
さらに、唯一の空気の逃げ口は部屋のドアの隙間だったので、煙や匂いが共有スペースの廊下にこもって他の住民に迷惑になるので出来ませんでした。
まぁ、管理人は気にせず料理してたので廊下は煙や匂いが充満してたので、その時間帯なら気にしなくてもよかったのでしょうが。(管理人部屋にはキッチン設備あり)
騒音迷惑
部屋の壁は土壁で、断熱材や防音材はもちろんなく、隣の部屋との仕切りはベニヤ板一枚でした。
隣の住民のため息まで聞こえるほどに低い遮音性だったので、包丁で切る音やフライパンで何かを炒める音とかがアパートに響き渡るので、騒音迷惑になるので出来ませんでした。
特に、揚げ物は酷かったです。
入居してすぐに電磁調理器を買ってきて、天ぷら作りにチャレンジしようとしたのですが、油で揚げる音がアパート全体に響き渡るほどの爆音だったので即止めました。
30年以上経った今でもそのことをはっきりと覚えてるのですが、ただ、大量に余ったサラダ油をどうやって処分したのかは忘れました。
ゴキブリの棲家
ボロアパートなのでゴキブリがいました。
毎日ゴキブリを見てました。
上記の写真の通り、洗面台と壁との間に隙間があり、そこがゴキブリの棲家になってるようでした。
さらに、洗面台下の排水管との隙間も大きかったので、そこからも侵入してきたと思います。
「朝起きて、洗顔してタオルで顔を拭きながらふと壁を見ると、壁にゴキブリが2匹いる」
とかも普通でした。
自炊するとゴキブリがさらに増えるので、それもやめる理由にありました。
部屋が暑すぎ、寒すぎ
上記リンク記事の通り、部屋は暗く、風通しもなく、夏はジメジメして蒸し暑かったです。
アパートの構造は、トタンの屋根でベニヤ板の壁でした。
7月初めから10月初めまでの3ヵ月間は室内の温度は常に30度以上でした。
暑い時は夜でも34度以上ありました。
蒸し暑い夏は、洗濯物の部屋干しが影響してか押し入れの床はカビで真っ白になってました。カビは雪が積もったかのように深さ数mmありました。
冬は(物理的に)暖房器具も十分に使えなかったので、めちゃくちゃ寒かったです。
部屋でもジャンパー(ライダージャケット)を着て生活してました。
なので、夏と冬は料理以前に病気せずに生きるのに必死でした。
引っ越しできない
毒父の命令により、部屋を引っ越すことも出来ませんでした。
最下級大学生の食生活
「家で自炊できなかったら、大学時代、食事はどうしてたの?」
と疑問に思うでしょう。
それに答えると、こんな感じの食生活でした。
- 朝食
トースト2枚とバター or 学食
食費: 30円〜180円 - 昼食
学食
食費: 150円〜300円 - 夕食
なし or 学食 or 家庭教師先の手料理 or ミスピー
食費: 0円〜300円
朝食
トースターはあったので、朝食はパンが多かったです。
ご飯が食べたい時は学食に行く、といった感じでした。
食費は、トーストだと30円ぐらい、学食が180円(200円以下)だったと思います。
昼食
昼食はほぼ学食でした。
カレー(並)が150円、定食が250円だったと思います。300円以下だったのは間違いないかと。
夕食
食べたり食べなかったりでした。
というのも、夕方からはバイトをしていて学食の夕食時間に合わなかったりして、夕食はバイト先次第だったからです。
もうちょっと詳しく書くと、こんな感じでした。
- バイト先: ピザ屋
ミスピー(注文ミスで余ったピザ)があるときは皆でシェアし、なければ夕食なしでした。 - バイト先: 家庭教師
家庭教師のバイトを2つやっていて、うち一つつは食事付きでした。
もう一つは食事なしの普通の家庭教師だったので、その時は学食で食べてました。
ちなみに、コンビニ弁当や外食はほとんど利用してないです(旅行時を除く)。「年に数回あったかな?」という回数です。
ファーストフード含めてもそんな感じで、大学生活5年間で、マクドナルドは1回、KFCは1回、吉野家は2回行ったかな?といった貧相な食生活でした。
僕の学生時代の食生活は東南アジアの貧困学生よりも低いレベルでした。